徳成寺とは

真宗大谷派

徳成寺の本山は京都の東本願寺です。

徳成寺は、真宗大谷派(しんしゅうおおたには)と言いまして、
浄土真宗の宗派の1つで、京都の東本願寺(真宗本廟)を本山とするお寺です。
つまり東本願寺で修行することでお坊さんとして認めてもらうのです。
その東本願寺とは、どんなお寺か以下で紹介していきます。

東本願寺は親鸞聖人の子孫が開いたお寺

今から八百年前の鎌倉時代、比叡山で修行していた親鸞さんは、町中でお念仏の教えに民衆と共に生きる法然さんに感動して弟子入りしました。そうして権力からの弾圧にもめげず一生涯、親鸞さんはお念仏の教えに生き抜いたのでした。

阿弥陀堂

その親鸞さんが亡くなって、子孫がお墓を建てました。そのお墓に親鸞さんを慕う人々がたくさん集まったので、天皇さんに頼んで建ててもらったお寺が本願寺というお寺です。

 

*俗に一向宗と呼ばれ、かつて一向一揆などの政治力を持っていた宗旨です。

その後、室町時代に、蓮如さんという本願寺八代目の住職が全国に布教活動をして浄土真宗の教えを広めました。
「どんな人も『南無阿弥陀仏』とお念仏だけををとなえるなら救われる」という教えの特徴から「一向宗」と呼ばれ、爆発的に信者が増え、大きな政治勢力になりました。加賀の一向一揆などが有名です。

 

*織田信長による弾圧⇒豊臣秀吉の配慮⇒徳川家康により東西分派

時が流れて戦国時代になると、「天下統一」を目指す戦国武将たちの最重要課題が「一向宗」をいかにして手なずけるかということでした。
そこで織田信長は「一向宗」を徹底的に弾圧します。豊臣秀吉は現在の西本願寺の場所に本願寺を移転します。徳川家康は本願寺の東側にもう一つ本願寺を建てて勢力を二分しました。東側に新しくできた本願寺が東本願寺となり、元の本願寺が西本願寺になったのです。新しく建った東本願寺を真宗大谷派と言います。